オヤジ懐かしのPDドライブ

倉庫を片付けたら、昔懐かしい機器やメディアがいくつか出てきましたので、こちらのブログで紹介します。

今回はPDドライブPD記録メディアです。

購入してから年月も経ち、既に25年ぐらい使用していないかも知れません。

倉庫の中で外箱は傷んでますが、箱を開けて見たら、ほぼ新品のような感じのドライブが・・・。

◼️PDドライブ

PD(Phase-change Disc)

ピーディーと読む。

松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)が1990年代に開発した書き換えが可能な光ディスクおよびその規格です。

オヤジのPDドライブは松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)製の「PD/CD-ROMドライブ LF-1600JB」です。

接続はSCSI-2のみ。

当時はPDとCD-ROMが読み書きできるとのことで、購入したような記憶です。

申し訳ございません。

オヤジの記憶が曖昧になりつつあります。

■PDメディア

650MBのPDメディアですが、倉庫内で迷子になっているようです。

メディア発見次第、再投稿します。

「PD/CD-ROMドライブ LF-1600JB」の仕様

松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)が当時の取扱説明書にて公表している仕様は以下のとおりです。

LF-1600JB主な仕様

・ドライブ品番   LF-1600JB
・対応インターフェース  SCSI-2(Fast SCSI)
・シークタイム(当社測定法による)
  PD   82ms
  CD-ROM(最大20倍速)   78ms
・連続データ転送速度
  PD   518KB/s~1,141KB/s
  CD-ROM(最大20倍速)
   高速モード 約1,500KB/s~3,000KB/s
   低速モード 約600KB/s~1,500KB/s
・ディスク回転数
  PD   2,026min-1(rpm)
  CD-ROM(最大20倍速)
   高速モード 4,000min-1(rpm)~5,000min-1(rpm)
   低速モード 2,000min-1(rpm)固定
・ディスク スタート/ストップ時間
  PD   7s~2s
  CD-ROM   9s~2s
・ビットエラーレート(訂正後)
  1.0×10-12以下
・オーディオ信号出力(ヘッドフォン)
  0.3Vrms(16Ω)
・バッファー容量
  640KB
・設置方向
  水平
・許容動作温度
  +5℃~+35℃(動作時)
・許容動作湿度(結露なきこと)
  10%RH~80%RH(動作時)
・外形寸法(幅 x高さ x 奥行)
  143 x 35 x 218mm (突起部を除く)
・質量(本体)
  約880 g
・SCSIコネクター形状
  ハーフピッチ50ピン(ピンタイプ)
・対応ディスク
  PDカートリッジ
  CD/DA、CD-ROM XA、PhotoCDマルチセッション、
  Video CD、CD-EXTRA

※松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)の取扱説明書から引用

オヤジ懐かしのMOドライブ

倉庫を片付けたら、昔懐かしい機器やメディアがいくつか出てきましたので、こちらのブログで紹介します。

まずはMOドライブとMO記録メディアです。

10年程前までは、ちょこちょこ使用していました。

◼️MOドライブ

MO(Magneto-Optical disk)

エムオーと読む。

データの読み書きにレーザー光と磁気を利用した外部記憶装置です。

オヤジのMOドライブはオリンパス光学工業株式会社(現オリンパス株式会社)製の「TURBO MO mini」です。

デザイン関係のデータの受け渡しはMOメディアが必須だったような記憶があります。

Windows10のパソコンにUSBで接続して、デバイスの認識を待って・・・。

ドライブをポチポチと。

正常動作しましたよ~。

まだまだ現役で使用できます。

■MOメディア

光磁気ディスクの記録媒体でリムーバブルなメディア。

未使用品のメディアが何十枚も出てきました。

今では使用していないので、ちょっと・・・もったいないですね。

「TURBO MO mini」ドライブの仕様

オリンパス光学工業株式会社(現オリンパス株式会社)から当時公表されていた仕様は以下の通りです。

「TURBO MO mini」主な仕様

・商品名   TURBO MO mini
・形式  書き換え可能型3.5型光磁気ディスク駆動装置
・型名  MO643U1C(スケルトン)(Mac & Winセット)
・記憶容量(対応MOディスク)   128MB, 230MB, 540MB, 640MB
・オーバーライト対応   230MB, 540MB, 640MB
・連続データ転送速度   最大1.5 MB/s
・ディスク回転速度   3000rpm(= r/min)
・インターフェース   USB 1.1
・キャッシュサイズ   2MB
・ACアダプタ   AC100V 50/60Hz
・消費電力   最大10W
・環境温度   動作時 +5℃~+35℃
・非動作時   -30℃~+65℃
・環境湿度   動作時 10%~80%
・非動作時   5%~90%
・設置方向   縦置き(片側のみ)・横置き
・USBコネクタ形状   Bタイプ
・寸法   37 x 119 x 151mm (高さ x 幅 x 奥行)(スタンドは含まず)
・質量   500 g (ACアダプタ含まず)

※オリンパス光学工業株式会社(現オリンパス株式会社)の当時の仕様情報から引用。

オヤジのONU故障!復旧までのオヤジの奮闘記録

■インターネット繋がりません!!

一昨日の深夜、ONU(ルータ一体型)が故障して、インターネット回線が不通状態に。

WordPressを勉強中の出来事でした。

深夜、急にWi-Fiからインターネットが繋がらなくなり、ONU(ルータ一体型)を見に行くと、見慣れない「アラーム」ランプが点灯してました。

◼️昭和時代の香りが

ONUには「電源コードを抜き、約15分程度待ってから電源コードを繋ぐ」とのシールが貼ってありました。

昭和時代を思い出させる対応方法。

昭和時代はテレビの映りが悪くなったら、テレビを叩いて刺激を与えて直してましたね。
還暦世代で故障かなと思ったら、とりあえず叩いてみるがついてる人いませんか~。
危険ですから、ちゃんと修理依頼しましょう。

約15分程度って熱暴走対策でしょうか。冷ましてるのかな?

パソコンも調子が悪くなったら「再起動」で改善を試みるので、初期対応としては当然の対応なんでしょうが、「昭和の香り」がプンプンしてしまうのは還暦世代のオヤジだけでしょうか。

◼️オヤジ、電源コードを抜く

15分間待機の根拠は分かりませんが、15秒の間違えではないかと思いつつも、電源コードを抜いて待ってみることに。

何回か電源コードを抜き挿して、改善を試みるのですが「アラーム」ランプは消えません。

ONUの故障みたいなので、光電話も使えず。

◼️故障受付

スマートフォンからインターネット経由で「故障受付」をポチポチと入力して就寝

  

朝起きたらスマートフォンに深夜の着信履歴が。

「故障受付」の方から、深夜に電話を頂いていたようで、素早いご対応に感謝です。

◼️回線のバックアップ

でも、ONUが故障したら、インターネットで仕事や取引してる人には死活問題ですから、深夜でも故障対応して頂けてるってことですね。

仕事場でしたら、バックアップ回線は当たり前で、1回線ダウンしたぐらいでは動じないのでしょうが。

個人でも、「ポータブルWi-Fi」や「スマートフォンのテザリング」など、バックアップ回線になる方法はありますね。

◼️電話応対

昼間に「故障受付」に電話し、経緯をご説明すると

ONU交換」とのこと。

早くインターネット回線を復旧させたいので、最短で機材が届くように手配して頂き、オヤジ自身でONUとルータの設定をすることにしました

■ONU機材が宅急便で

通信会社からONU機材が届きました。
素早いご対応ありがとうございました。

■交換作業

それでは作業開始です。

故障したONUの電源コード光ケーブルを抜き、更にLANケーブル電話線も抜きます。

新しいONUを設置し、光ケーブルを接続します。
※光ケーブルが折れてしまうと大変です。慎重かつ正確に光ケーブルを接続しました。

新しいONUの電源コードを繋ぎ通電、LANケーブルや電話線を挿して3分で設置完了。

■プロバイダ情報の登録

次はインターネットに接続するためのプロバイダ情報のルータへの登録です。

ONU(ルータ一体型)なのでルータ機能はONUにあり、パソコンをLANケーブルで繋ぎ、ブラウザでルータにアクセス。

  • 接続先名(プロバイダ名)
  • 接続先ユーザ名
  • 接続パスワード

を入力して登録完了。

無事に、インターネット繋がりました。

インターネットが不通で
パソコンも活用激減でした。
相当インターネットに依存してますね。

MS-DOS はじめてのパソコンとプログラミング言語

NEC社製のPC9800シリーズ

1980年代に入ってパソコンが普及し始めたのですが、はじめて購入したパソコンは、NEC社製のPC9800シリーズでした。

OSはマイクロソフト社の「MS-DOS」

前年にNEC社からPC8800シリーズが発売されていましたが、ゲーム機色を強く感じたので買い控えた記憶がありますね。

なんと、最初に買ったパソコンの記憶媒体は5インチのフロッピーディスクが使えるドライブが2個のみ。

片方のドライブでプログラムを起動し、もう片方のドライブにデータを記憶させる使い方だった。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: floppy-disk-989x1024.png

何かのソフトウェアを作成するには1枚のフロッピーディスク(1メガバイト)内で動作させる必要があり、大きいサイズのプログラムはご法度でした。

プログラム容量削減のため、日付を記憶させるなら6桁が当たり前だった時代。

後々、2000年問題に発展するんですけど。

■ハードディスク搭載

ハードディスクのような記憶媒体を搭載したパソコンは、もう少し後で発売されましたが、

ハードディスク10メガバイト搭載!

今なら考えられませんね。

スマホでなんでも記録もできますからね。

今はスマホの写真1枚が10メガバイトを超えちゃってませんか~。

■ソフトウェア

また、当時は市販されているソフトウェアが表計算ソフトかワープロソフトが主流で、

オヤジが経験しているのは

表計算ソフトなら、

マイクロソフト社の「MULTIPLAN」

ロータスソフトウェア社の「LOTUS1・2・3」

ワープロソフトなら、

ジャストシステム社の「一太郎」

※当時はまだまだワープロ専用機が根強い人気でした。

小規模なら、フロッピーディスクに作成したデータファイルを読み書きするほうが多かったですかね。

当時は日本のメーカー同士のソフトウェアの互換性が無く、パソコンメーカーに合わせてソフトウェアを購入する必要もあった時代です。

■コマンドライン操作

Windows以前のパソコンでは、「コマンドライン」からの操作が必須でした。現時点のWindowsでも「コマンドプロンプト」として、別なソフトウェアとして機能が残ってますね。

※初期のWindowsはMS-DOS上で動作していたから、OSとしてMS-DOSが必須でした。

現在でも

  • PING
  • IPCONFIG

などは「コマンドプロンプト」から使われているのではないでしょうか。

MS-DOSではフォルダの作成や、ファイルの作成・削除も「コマンドライン」から操作してました。

フロッピーディスクや記録媒体の初期化(フォーマット)も「コマンドライン」からでしたね。

>CD¥↩️ 
    チェンジディレクトリ

>MD ABC↩️ 

    メイクディレクトリ

>FORMAT A: /S↩️ 

    フォーマット

当時のユーザの殆どは、ワープロソフトや表計算ソフトのメニューからファイル削除や初期化等を実行していて

当時、パソコンを使用していたけど、

「コマンドライン」なんて知らないって方も居ると思いますが、

「¥>」マークなどは記憶にあるのではないでしょうか?

当時経験したプログラミング言語

1990年代前半、Windows95が発売される少し前までの記憶を辿ってみたいと思います。

COBOLに始まり、オヤジにはとても懐かしい記憶です。少しお付き合いください。

FORTRAN

COBOLに触れプログラミングの面白さを知り、FORTRANを興味津々で挑戦。

アセンブラ

1980年代、次に挑戦したのはアセンブリ言語。

当時はアセンブリ言語やプログラムのことをまとめて「アセンブラ」と呼んでいた記憶があります。

機械語(またはマシン語)はコンピュータが理解できる2進数の羅列。

アセンブラはその機械語の命令に個々対応した言語。

低水準言語に分類。

レジストリやメモリを参照してのプログラミングで、今考えると実に細かい作業でした。

命令語は

  • PUSH
  • POP
  • MOVE
  • ADD

など

N88BASIC

1980年代にNEC社製のPC9800シリーズを購入したら、N88BASICの5インチフロッピーディスクが同梱されてました。

NEC社とMicrosoft社で開発されたBASIC言語のようですが、NEC社製のPC9800シリーズに同梱されていたため、初めてプログラミングをN88BASICで体験された方も多かったと思います。

命令語なども簡単な記述でプログラムが作成でき、オリジナルなゲームプログラムに挑戦された方もいたのではないでしょうか。

命令語は

  • RUN
  • SET
  • DATA
  • INPUT
  • STOP

など

C言語(C、C++)

プログラミングを経験された方で知らない人はいないであろう、汎用プログラミング言語ですね。

1980年代、オヤジはC言語(C、C++)に初めて触れ、大変興味を持って勉強したのを覚えています。

以降、C言語とは長い付き合いになります。

VisualBASIC

1980年代後半、Microsoft社からWindows1.0が発売されました。

当時、MS-DOS上でシングルスタスク(OS/2上ならマルチタスク)で動作する、ウィンドウを表示させるソフトウェアに絡んでいたので、Microsoft社からWindows1.0が発売された時は驚きました。

1990年代に入り、Windows3.1の普及が爆発的で、Windowsアプリケーションを作成するためにVisualBASICを始めた記憶です。

続きは後ほど

オフィスコンピュータとプログラミング言語COBOLとの出会い

オフィスコンピュータ

1980年代、仕事場にはオフィスコンピュータ(オフコン)が導入されてました。

オフィスコンピュータと言っても、当時の性能としては、今のスマートフォンにも敵わないですね。

オヤジが使用していたオフコンは海外製でしたが、10メガバイトのディスクが、バケツぐらい大きかったと記憶してます。

当時のオフィスコンピュータは熱暴走することがあり、今より熱に弱かったですね。オフィスコンピュータ専用の電算室を設け、冷房がガンガン効いてました。

現在でもサーバ室(電算室とは聞かなくなった?)は空調管理され、セキュリティの観点から専用室を設け、施錠や入室者制限が当たり前ですね。

ブラウン管モニタ

当時のオフコン端末のモニタはブラウン管型で、表示色は単色で、黒画面に白文字が主流でした。

当時は黒画面にグリーン文字が日本人の瞳では疲労度が少ないなんて聞いてました。

 

都市伝説?

 

真相は判りませんが、グリーン文字をオヤジは結構気に入ってました。

メーカーによっては黒画面にオレンジやイエローだったり、反転させてオレンジ画面に黒文字なんてありましたね。

当時は斬新で格好良かったですよ~。

 

当時、オフコンに表示できる文字は「アルファベット」と「半角カタカナ」、「数字と記号」ぐらい。

日本語が表示できるようになった時は感動しましたよ~。

初めてプログラミング言語COBOL

オヤジがまだ若かった1970年代後半、初めてプログラミング言語と出会ったのがCOBOLでした。

恥ずかしながら、当時のオヤジは構造化プログラミングも知らず、ひたすらGOTO文を多用していた記憶があります。

今思えば、迷路のようなコーディングですよね。

基本情報技術者試験もCOBOLで受験可能であったことから、まだまだ現役で使用されてますね~。

 

 

COBOLの基礎構造

IDENTIFICATION  DIVISION
     PROGRAM-ID
     AUTHOR
ENVIRONMENT  DIVISION
    CONFIGRATION  SECTION
INPUT-OUTPUT  SECTION
DATA  DIVISION
    FILE  SECTION
    WORKING-STORAGE  SECTION
PROCEDURE  DIVISION

  こんな感じだったかと。

穿孔テープ

当時の記録媒体は紙テープ(穿孔テープ)や紙製のパンチカードが使用されていました。

紙テープでのブログラムの修正では、修正箇所の紙テープを切り取り、修正した紙テープを糊貼りしましたよ。

紙テープ8孔タイプのモノは1列8孔が1バイトを意味してました。

 

また、オヤジがCOBOLに出会った当時は、汎用機で使用していて、パソコンはとても買える値段ではありませんでした。